世界平和にむけた共存共栄のために「多様性」を尊重する社会変革が求められる
WHO現地局長らがガザ医療施設への攻撃停止を求める声明 ( by WHO Medea center)
世界各地で紛争が起きており、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に加え、イスラエルとパレスチナの紛争によってガザ医療施設では乳幼児などの子供を含む多くの一般市民と医療従事者が人命の危機に直面しており、WHOは即時停戦を呼び掛けています。紛争解決のために、共存共栄できる解決策を導き出すことが世界の指導者に求められています。異なる民族や集団を排斥することなく、お互いに民族の多様性を認め、尊重しあうことを、世界中の人々が求めています。今まさに、人類の将来にむけた変革の時が来ているといえます。
WHOは医療従事者と子供を含む多くの市民が人命の危機にあると伝えている
WHOによると、ガザ地区の医療機関への攻撃で、これまで過去36日間で、病院などの医療施設における新生児や子ども達を含む一般市民の死亡と負傷者数、および勤務中の医療従事者の死亡と負傷者は、521名が死亡し、686名が負傷したと発表しています。(2023年11月12日)
さらには、報道されているように停電、酸素供給、断水による生命維持装置の停止による未熟児や乳児も含め、負傷者などすべての患者に命の危険が差し迫っていることを伝えています。
WHOのメディアセンターによると、
『医療施設や民間人に対する攻撃は容認できず、国際人道法および人権法および条約の違反です。彼らを許すことはできません。特に危機の際には、医療援助を求める権利は決して否定されるべきではありません。
ガザ地区の病院の半数以上が閉鎖されている。まだ機能している人々は大きな負担にさらされており、非常に限られた救急サービス、救命手術、集中治療サービスしか提供できません。水、食料、燃料の不足は、病院やその周囲に避難している女性や子供を含む数千人の避難民の幸福も脅かしている。
安全な避難所であるはずの病院が死と荒廃と絶望の現場に変貌する中、世界が黙っているわけにはいかない。人道的停戦を即時に確保し、さらなる人命の損失を防ぎ、ガザに残された医療システムを維持するために、断固たる国際行動が今必要とされている。これらの救命サービスに燃料、医療用品、水を提供するには、妨げられることなく、安全かつ継続的にアクセスできることが現在必要です。暴力は今すぐにやめなければなりません。』
引用情報:News release: UNFPA, UNICEF and WHO Regional Directors call for immediate action to halt attacks on health care in Gaza(2023年11月12日)
未来の人類のために紛争を終結させる「共存共栄の解決策」が求められている
長谷川メンタルヘルスケアセンターとして、世界各地で頻発している戦争状態が一刻も早く終結し、人類の未来に向けて、「共存共栄できる解決策」を導き出すことを世界の指導者に求めます。そのために、世界規範と社会秩序を遵守し、武力による領土拡大などの紛争、人種差別と民族排斥による迫害、宗教対立などによる武力行使などの争いをなくすために、個人の多様性尊重と同様に、集団である国家・民族の多様性、宗教宗派の多様性を認め、あらゆる集団の多様性を尊重し寛容になることが重要であると考えています。
ロシアのウクライナ侵攻時に、旧ソビエト連邦時代の元大統領コルバチョフ氏が、尊い人命を犠牲にする軍事侵攻について、「人命よりも優先されるものは何もない」との侵攻反対のコメントが伝えられました。「あらゆるものに優先されるのは人命である」との考えに、心から賛同します。
これまで人類は、侵攻や紛争・弾圧による人命の被害以外にも、今世紀におけるコロナ感染をはじめ、ペスト、コレラ、スペイン風邪など世界的な感染症による人命被害、火山噴火や地震・ハリケーンなど天変地異の自然災害による人命被害、気候変動による飢饉の人命被害、などの数々の試練にたいして地域や国を超えて支え合い・助け合いながら乗り越えて来た過去の歴史があります。
これまでに、人類が助け合い乗り越えてきた苦難の時代に学んできた英知を出し合い、紛争の終結にむけた解決策を見出すことが必要です。いま世界の指導者が英知を出し合い、人類の未来に向けた「共存共栄の解決策」を導きだすことが求められています。一刻も早く停戦が実現し、平和を取り戻せることを心から祈ります。
人類が「異質な個人・集団」を排斥してきた侵略と虐待の歴史
人類は有史以来、戦いの連続であり、紛争や戦争が繰り返されきました。古代ヨーロッパにおけるペルシアの侵略とギリシアとの戦い、中世におけるモンゴル帝国の侵略、オスマン帝国の侵略、十字軍の戦い、そして近代における奴隷貿易と植民地政策によるアフリカ・中南米への侵略、アジアにおける国家王朝にたいする革命・反乱による戦いが繰り返されてきました。また、日本においても戦国時代の武将による群雄割拠の戦い、関ヶ原の戦いや幕末の戦乱による殺戮、そして日本近代史に繰り返された戦争など、これまでの人類は、自らの支配を拡げることで新たな富を獲得するための数えきれない戦禍で、尊い多くの人命を犠牲にしてきた歴史があります。
世界各地で起きている紛争や迫害に加え、家庭における児童虐待やDV暴力、職場でのハラスメント、学校のイジメ、SNSでの特定個人や集団への誹謗中傷のイジメが頻発しています。
その背景として、人間が太古の時代から集団を形成し、その集団を守りながら進化してきたという人類の歴史が大きく影響していることが考えられます。人はやがて村や街を形成し地域社会の民族集団として暮らしはじめ、その集団を守るための戒律や規範に従い、異質な個人や他集団を排除する行為や他集団との戦いなどは、集団を守るために必要な正当性のある賞賛される集団行為だったといえます。それが現代の時代にまで及んでいるのは、集団を守る人間の防衛本能としして無意識的な深層心理に焼き付いていると考えることもできます。それによって「自らの集団における異質な者や異なる集団を排斥する」という集合的無意識が社会認識として形成されてしまったのではないかと思えてなりません。
これまでの紛争の歴史を乗り越えて新たな時代に向かうために、人類が持つこの異質な者・集団を排除してきた人間の本能から抜け出し、新しい人類の未来に向けて変革する時がきています。そのためには、相手を気遣う思いやりの心で「個人の多様性」と「集団の多様性」を尊重することが、恒久平和のために、いま人類に求められているといえます。
長谷川メンタルヘルスケアセンター参考情報:
・心理カウンセリング領域と対処ヒント
参考書籍の情報:
・家庭の児童虐待防止・子育て世代の地域サポート
・職場・対人関係のストレス対策
・家庭の児童虐待・学校イジメを防ぐ市域社会の課題
Z世代を中心とした「個人の多様性」を尊重する社会変革が起きています
今、世界各地で起きている地域紛争や迫害、環境破壊にたいする反対の声をあげる、新たな世代といえるZ世代の若者たちが注目されています。将来の社会を支える新たな人類といえる若者たちが、いち早く反応し大きな「うねり」を起こす姿に、新たな人類の変革の時を迎えているように思えてなりません。
身体的・精神的なハンディキャップも「個人の多様性」です
この新たな「うねり」は、個人の身体的、精神的な多様性(Diversity)の概念自体においても、同様に変化のうねりがあります。例えば、身体的障害をパーソナリティの多様性としてとらえ「障害」ではなく「個性」とする考え方です。それは、歩行が困難で車いすが必要な人を社会的に排除することなく、その人が持つパフォーマンスを十分に発揮して社会で活躍できるように、社会の側が「社会的な障害」を取り除くことが、現代の社会に求められています。その事から「障害」という社会認識は変化しており、身体的なハンディキャップがあるとするのではなく「多様性のある個性」なのだという社会認識が形成されつつあります。
学習障害やADHDなどの発達障害も「個人の多様性」のひとつです
さらには、精神的な能力や特性の差異についても障害ではなく個人の多様性であると認識し、個人の多様性のひとつであるとする新たな社会認識を形成することが必要です。例えば、学習障害(限局性学習症、LD)がありますが、これは、読み書き能力や計算力などの算数機能に関する発達障害のひとつで、特定の文字言語にたいする目視による識字力や聴覚による言語理解力の差異、さらには特定の空間認識や時間認識にたいする記憶力の差異、など限定的な領域の能力について標準との差異が認められ、その結果として学習するうえでハンディキャップがあるケースが該当します。しかし、このような発達障害の傾向のある人々にたいしても同様に個性の多様性の一つであるという社会認識を形成させることが必要です。そのような特性を持つ人々にたいして、異質な個人だとして社会から排斥することがあってはなりません。
同様に、多動傾向が強いADHD的な特性があるお子さんの場合にも同様のことがいえます。ADHDは注意欠如・多動症のことであり、子供の場合には、発達水準からみて不相応に注意を持続させることが困難であったり、順序立てて行動することが苦手であったり、落ち着きがない、待てない、行動の抑制が困難であるなどといった特徴が持続的に認められ、そのために日常生活に困難が起こっている状態です。このADHD傾向があるお子さんの場合にも、個性の多様性の一つだという社会認識の形成が必要です。このような子ども達は、街中や電車内で走り回ることが多くなったり、外部の情報に過敏に反応したりすることがあります。そのような時に、その様子を見て、周囲の大人たちがその子や親御さんを非難したり、社会から締め出したりすることがあってはなりません。
ADHDなどの多動傾向にあるお子さんをもつ親御さんにとっては、街中での周囲からの非難されているかのような視線が気になり、精神的に追い詰められ、いやがる子供を無理やりペットのように縄で縛り付けたり、身体をつねったり叩いたりなど痛みを伴うことで動物のように矯正しようとする事も虐待行為であり、避けなければなりません。そのためにもお子さんが持つ優れた特性を探してあげようとする、美点凝視の気持ちで関わって頂くようにお願いします。
そのためにも、周りの大人たち、さらには社会のすべての人々は、社会認識としてADHD傾向にある子どもを異質な個人とすることなく、個性の多様性として受け入れることが必要です。このような脳機能の特性の差異は、すべての子供や成人が、大なり小なり持ち合わせている個人のキャラクターとしての多様性の一つであるとして受けとめる社会の寛容さと、すべての個人が持つ人間としての尊厳を尊重する社会認識を醸成させることが必要であると長谷川は考えています。
発達障害と虐待関連 参考書籍:長谷川メンタルヘルスケアセンター代表著書
・育児困難からの緊急脱出 (Amazon書籍)
・母親の児童虐待 制止と脱出手順(Amazon書籍)
集団標準から外れた個性を異質とする危険な「多様性の解釈」
すべての個人が持つ人間としての尊厳を尊重することは、すべての集団の多様性を尊重することに結び付きます。そのためには、多様性にたいする適切な解釈を理解しておく必要があります。その個人・集団の多様性への解釈として、とくに問題がある危険な解釈は、ある社会集団で平均的な能力を持つ標準的な者のみを、「集団に参加することを認める」とすることは、個人にたいする虐待行為や異なる民族にたいする過去の選民思想にもとづくジェノサイト、迫害・排斥運動、過去の忌まわしい異民族の奴隷貿易、などに結び付きます。その結果、人類の共存共栄は実現することなく、終わりのない紛争へと結びつくことになります。
そこで、未来にむけて必要な解釈は、人類が進歩するために必要とする多様性にたいする適切な解釈です。それは、その個人が持つ特定の能力レベルが、ポジティブにもネガティブにも標準を逸脱している多様性について、「特定能力がその集団の標準値から逸脱している」ことではあるけれど、単に「特定の能力領域において顕著なパーソナリティ特性を持っている」ことであり、それは「個人の多様性」としての一つの形態であると解釈することです。それにより、すべての個人にたいして同じように「人間として持つ尊厳」を尊重することに結び付きます。
「発達障害」だった偉人たちの「個人の多様性」が人類を導いた歴史
「個人の多様性」にたいする適切な解釈の背景には、レオナルド・ダ・ヴィンチ、エジソンやアインシュタインなどの過去の偉人、さらにはスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツなどの多くの現代の偉人たちも同様に、子供の頃に落ち着きがないとか、突拍子もない行動や考え方をしたことで周囲から問題児とされたという共通のエピソードがあります。それは発達障害の特性であり、その傾向があったとされる著名人が大勢います。むしろ、そのような標準を逸脱した特性が社会を変革してきたと考えることもできます。
同様に、子どもの頃には周りが自分のことを理解してくれず、学校などの集団生活に馴染めなかった子供たちが成人した後に社会で多くの発明をしたり、画期的なアイデアで時代を開拓し、人類の進化を導いた例が多くあります。発達障害とされたネガティブな特定能力とあわせて、人並み外れた超ポジティブな才能を持ち合わせていることが往々にしてあります。そのことから、ネガティブな特定能力の側面だけをみて、その個人を発達障害の傾向があるとすることなく、パーソナリティの多様性としてとらえることが適切です。それにより、その人が持つポジティブな才能領域を周囲で関わる人が探し出してあげること、それを本人が自覚して自信をもってそのポジティブな側面といえる優れた能力・才能を十分に発揮できるようなサポートに注力することが求められます。
共存共栄のため「集団の多様性」を尊重し英知を学ぶことが求められる
個の争いや集団の争いを回避するために、世代を一つの集団と考えて、子供や若者、成人や高齢者を含めて、すべての世代や集団を尊重することが社会に求められています。それは、企業のマーケティングなどにおいても注目されている、新たな世代集団といえるZ世代の子供や若者たちの世代です。Z世代の持つ、感覚の鋭さや、斬新で突拍子もない考えやアイデアにたいして、過去には稚拙で子供じみていると切り捨てた大勢の大人がいました。しかし、環境保護の活動などにいち早く取り組み、その優れた感性と思考力を持つ世代だという社会認識が形成されています。そこには各世代や集団の持つ多様性を尊重し、新たな世代から新たな知識を学ぶべき謙虚な姿勢が、すべての大人たち世代に求められています。
この世代群を一つの集団としてとらえた時に、共有された集団認識を持った世代集団のそれぞれは、世代間の考えの差異を世代間ギャップとしとらえるのではなく、「世代の多様性」として尊重することでもあり、子供や若者の考えを親の古い価値観や尺度で稚拙であると排除することなく、また高齢者の考えを単に古臭い考えであると切り捨てることがあってはなりません。それは家庭における親子の場合であっても、異なる価値観を包含する世代群の多様性として、お互いの知恵を学ぶべきです。子どもの考えや認識が世間知らずだとか幼稚だと決めつけることなく、子供世代が持つ直感的でアイデアに満ちた尊い多様性として受けとめて、尊重することが求められています。
そして、企業組織においても、異質な多様性のある個人が集まり、お互いを認め合い、尊重しあうことで、集団としての最高のパフォーマンスを発揮することができるチームが生まれます。そのような個人とチーム・集団の多様性を信頼しあい、率直な意見交換が許され、自分のアイデアを躊躇することなく発信し、異論者を排除することなく議論できる組織としての「心理的安全性」のある企業が、新興市場で新たなニーズを発見し、世界の経済をけん引しています。これは多くのエクセレント・カンパニーに共通した側面です。現代の経済界の企業組織の集団においても、個人・チーム集団の多様性を尊重することが求められています。
長谷川メンタルヘルスケアセンター参考情報:職場の「心理的安全性」が最大のパフォーマンスを発揮する
異なる民族・国家の多様性を尊重し、お互いの英知を学びあうことで人類が進化できる
異なる民族・国家・宗教宗派の違いを超えて、集団の多様性が持つ英知を学びあい、不確実性のある将来を輝く未来へと変革させる、人類としての進化が求められています。いま直面している困難な時代を乗り越え、将来を担う子供たちのために、国家・民族・宗教を超えて集団の多様性を尊重しあう時です。
人類の未来に向けて「個人と集団の多様性」を尊重することが求めれられている
「相手を思いやる心」を持つことは個人のパーソナリティとしての「個人の多様性」を尊重することであり、社会におけるコミュニケーションの基本的な心構えです。相手を思いやり、人としての尊厳を尊重し、そして、すべての個人とすべての民族にたいして優しく、思いやりの気持ちを持って接することが、いま求められています。それは、個人が持つ身体的能力や精神的な特性を一人の人間の個性としての多様性としてとらえ、自分の属する民族・国家集団の標準的な身体的特徴や身体能力、精神的特性からはみ出した人々や集団を排斥することがあってはなりません。
集団の多様性を尊重し、お互いに培ってきた過去の英知を学びあい、他の集団を排斥することなく、個人のパーソナリティの多様性を尊重することと同様に、すべての他集団、異民族、他の国家や宗派など、集団の多様性を尊重し、包み込む寛容さと、思いやりの心を持つことで、現在の子供たちが幸せに暮らせる未来を獲得するために、人類として進化・変革することが、今を生きる世界中の人々に求められています。
長谷川メンタルヘルスケアセンター
代表 長谷川 裕通